
障がい福祉サービス事業所
原田啓之
茂田正和
茂田
あらためて、原田さんのこれまでというか、どういう経歴があって今に至るのかをお聞きしたいです。
原田
僕には知的障がいのある2個上の兄がいます。小学生の頃は兄と一緒に遊んでいると、それなりに嫌な思いをたくさんしたし、理不尽なことも多かった。あとはボランティア活動もしていたので、そんな幼少期を過ごしたことが、福祉を意識するきっかけになっていると思います。進路を決めるときは福祉の大学に進むことを選んで、その後、障がい者施設の運営に関わるようになって、そこから今に至るっていうのがざっくりした経歴ですね。
茂田
〈PICFA〉が掲げる“福祉×アート”というコンセプトが生まれたのは?
原田
もともと福祉の現場でアートをやろうっていうのは考えていました。大学時代、自閉症について研究していたことがあって、保護者にアンケートを取ったときの回答で一番多かったのが「親が死んだあとに、子どもがちゃんと生きていけるかどうか」と「生活していくための収入や経済的な面が心配」という母親の声。だったら福祉で稼げるような仕組みをつくらないといけないなと思って。
あとは当時、ひとりの自閉症の子と関わる機会があったんです。その子は多動で、多動といわれる子は同じ場所に1分と座っていられないんですけど、あるときその子が「トランプづくりをしたい」っていうんです。それで紙と書くものを用意して、それぞれ好きなものを選んで自由に描いてもらっていると、気づいたら1時間ぐらい座ってるんですよ。そのときに、自分の好きなことだったら、多動といわれる子たちもちゃんと座って作業ができるんだなと。もしかしたら、アートと福祉を融合させることで、いろんな可能性が生まれるんじゃないか。そう思ったのがはじまりですね。
茂田
原田さんとの出会いは5年前ぐらいで、そこからはもう親友みたいな間柄になっているけれど、OSAJIとのコラボではじめて一緒に仕事をしたのは2年前、それから今年6月にPICFAのECサイトを開設して、そのときに渋谷のギャラリーで「JUNK
JUNCTION」っていう展示をやって。
原田
そうですね。企業の方たちと仕事していると、担当部署とのやり取りしかないことが多いんですが、こちらの会社〈日東電化工業〉は担当も部署も関係なく、いろんなスタッフの方がPICFAに普通に遊びにきてくれる(笑)。僕としては、利用者であるメンバー(以下、メンバー)に友だちみたいに接してくれるのがありがたくて。みなさん、PICFAが障がい者施設だっていうことをあまり意識せずに、いつもフラットな感じなんですよね。メンバーである彼らはアーティストであり、ときどき会う友だち、みたいな繋がり方。
茂田
なんなら障がい者施設っていうよりも、クリエイター集団ぐらいの認識なのかも(笑)。はじめてPICFAを訪れたときに印象に残っているのは、原田さんが「障がい者が描いた作品だからというだけで評価されちゃいけない」とか、「売れずにひたすらがんばってるストリートのアーティストだっているんだから、障がい者っていうことを理由に優先されるのは違う」っていう話をしていたこと。「本当にそのとおりだよね」って思ったのをすごく覚えてる。
これまでにも障がいがある人の作品を見る機会はたくさんあったけど、そのときの周囲の反応とか、そこでの違和感みたいなものが、原田さんと話したらすんなり腹落ちしたというか。福祉に携わっている人から直接こういうことを聞けたっていうのも、自分の中ではインパクトが大きかったのかもしれない。
原田
今回のパッケージのアートを担当した本田さんは、コミュニケーションを取ることがそんなに好きじゃない人。ただ、彼って本当にプロフェッショナルで、仕事となると、ちゃんと向き合ってやってくれる。ちなみに、僕らはメンバーに絵の技術指導を一切しないんですよ。「こんなイメージで、あとはよろしく」っていうと、本田さんは「わかりました」っていって、どんどん描いていくんです。そのへんは一回見てもらったらびっくりすると思う。「え、もう描くの?」みたいな(笑)。
茂田
今回コラボしたハンドクリームは「絵の具をよく使うPICFAのメンバーにも使ってもらうとしたら?」っていうのも、ちょっとしたテーマだったりするんですよね。ベタつきにくいから、手に塗ったあともすぐに筆やペンが持てて、絵を描いたりしやすいっていう。
原田
今回の作品の意図については、コミュニケーションを取るのが難しい分、細かく説明はできないんですけど、本田さんの中で“Herbal”の香りはこんな感じ、“Fruity”は繊細な線がたくさんあって、“Woody”はワイルドな野太い線、みたいなイメージがあったんでしょうね。
デザインについては、僕たちだけでやるとカラフルにしたり色を入れたりしがちだけど、OSAJIさんとのコラボは洗練された感じに仕上がって、普段できない表現ができたこともうれしかったです。本田さんも含め、修正のやり取りを何度か重ねながら最終的にこの形に行き着いたので、実際に商品を手にしたときはやっぱりテンションが上がりました。
茂田
彼らのストイックな表現には羨ましさを感じますよ。アートの中でいえば、障がいという概念ではなくて、特性。これからの時代、そういうことがどんどん明確になっていくから、障がいがあろうがなかろうが、その人の良さが出せることで生活していけるような社会になるべきだなっていうのは強く思います。
原田
アートの交流が生まれるところに、ちゃんと企業がいて、福祉施設があり、当事者がいるっていう、この3つが混ざり合っていく感じ。やっとそんな時代になりつつあるという実感があります。僕はこれまで20年間こういう活動をやってきて、できなかったことがひとつだけあるんですけど、それが〈日東電化工業〉さんとの協業で実現できたPICFAのECサイトなんです。必要性は感じていたものの、僕らがやるとどうしても“福祉くさく”なる気がして、つくれずにいたんですね。加えて、ネットでものを売る時代になってきても、福祉施設ってなかなかそのへんが進まない。そんな状態のときに、現在ECを運用してくれている〈日東電化工業〉の担当の方が「私やります」って言ってくださって。今までの企業と福祉施設の関係性だったら、こんなことって絶対にありえない。だから茂田さんたちとは、なんていうのかな。想いというか、熱量を交換しているような感覚があるんです。
原田
話しながら思ったんですけど、どちらかというと僕たちの場合、コラボレーションっていうよりも“VS”のニュアンスのほうが近い気がします(笑)。「お互いに本気でやったらこうなった」みたいな。最後まで意見をぶつけ合うから、最終的にお互いちゃんと腑に落ちる。
茂田
うん。思想的な方向性は近いんだけど、ディティールやアウトプットの部分が違うからこそ意味があるっていうかね。よくあるのが、お互い納得していないのに議論して折衷案を出すっていうパターン。僕らの場合はそうじゃなくて「ちゃんと白黒つけようぜ」と(笑)。きっぱりどちらかを採用していくみたいな感覚。
原田
たしかにそうですね。しかもこのやり取りには、障がい者であるメンバー当事者もちゃんと入っているんです。クリエイティブの現場にも福祉が存在する隙を与えてくれているということが大きなポイント。蚊帳の外じゃなくてね。
2002年から障がい者アートをはじめて、最初のころは「そんなことできるわけがない」からはじまり、「障がいを見せ物にしてお金を稼いでる」とか、企業に提案しに行ったら行ったで「いいよ、使ってあげる。じゃあ幾らで」みたいなことばっかりで。こんなふうに“普通”のやり取りができるようになるまで20年かかっているから、“VS”の関係っていうのはすごく感慨深いなあ。
茂田
2002年っていうと、ちょうど僕も自宅のキッチンで化粧品づくりをはじめたタイミング。アプローチは違うけれど、もしかしたらこうやって一緒に仕事をするための20年だったのかもしれないよね、お互い。
茂田
原田さんって、福祉における世の中のインフラやコミュニティを作ろうとしている人でもあるような気がします。以前、PICFAの施設内に駄菓子屋さんを作って、近所の小学生たちが遊びに来ていたことがありましたよね。地域の人たちと普通に交流しているから「あれはすごいなぁ」って思ったし、PICFAが何かやるぞっていうとまわりの人たち、手伝うというよりは一緒に楽しむ感覚なのが、見ていてわかる。
僕の中のコンセプトとして決めているのが、福祉をCSR※的には絶対に使わないっていうこと。それだとやっぱり違和感を感じるのと、要はCSRっていうもの自体が持続可能なものなのかどうかも疑問。だからそういう“持続不可能”なものじゃなくて、福祉だけに限らないけど、ビジネスをやるときは必ず“ギブアンドテイク”であるべきだと僕は思っているんです。
※corporate social responsibilityとは…企業の社会的責任
原田
うん。そうかもしれない。僕にとっての“アート”は、あくまで福祉における手段なんですよね。
僕には3つの目標があるんですけど、まずは保護者の方に安心して、笑ってこの世を去ってほしいということ。あとは任せました、と。今回みたいなこともそうなんだけど、障がい者でもこうやって社会と関わりを持つことができるんだっていう期待感と未来を感じられる機会をもっと増やしたい。
次に、さっき話していた“友だち”みたいな関係性がまさにそうで。障がいがある人って、施設に入ると外部との付き合いが少なくなるから、ご両親もいなくなって本人が亡くなったときって、ご遺体がただ置いてあるだけなんですよ。その人が生きていた証みたいなものが見られないのが悲しい。だから最終的に、友だちみたいな存在というか、お葬式に来てくれるような人が増えてくれたらいいなと思いますね。
最後に、障がい者施設が福祉の底上げをしていかなきゃいけないっていうこと。PICFAだけが良くなってもしょうがないので、こうやって発信していることを別の福祉の現場が見て、自分たちにもチャンスがあるかもしれないって思ってもらうことが、これからの社会にとっても重要なことだと思っています。
原田啓之
医療法人 清明会
障がい福祉サービス事業所〈PICFA〉施設長